お知らせ

ブログ

対策講座、季節講習、日程変更などのご連絡です。

 お知らせ

2025年度 新規入塾生を募集しています

2025/01/13

考える塾Kjの塾生はみんな落ち着いています。

しっかり勉強できる空間で一人一人が学び、

中学校の定期テスト対策や高校入試対策では学び合いを取り入れて、

子供たちは、目標に見合った学ぶ力と学力の修得を目指しています。

昨年度、中学受験、高校受験全員合格、大学受験でも三重大に合格し、全員が第1志望に合格しました!

今年も良い報告ができると思っています!

Kjは成果が高いので、厳しい指導をしていると思われているかもしれませんが、

「勉強させる」「勉強させられる」の関係で言うと、「勉強させる」こともなく「勉強させられる」こともありません。

「(無理矢理でも)勉強させてほしい」というご要望には応えない塾なのです。

指導のスタンスは、

「勉強したい」から、「勉強させてあげる」というスタンスです。

だから、「勉強させられる」ことを待っている子には、

初期段階が、少し過酷かもしれません。

いつか強制してくるだろうと思っているのに、

いつまで経っても強制してこないので、

この間は、車のブレーキでいう「空走距離」と同じ時間になってしまいます。

Kjに辿り着くまでに強烈に強制された子が、正しく学び始めるのは「超すぐ」のこともあれば「ずっと先」のこともあります。

ずっと先になるのは、気持ちはすぐには変わらないからですが、きっと変わるので、しっかり応援して待っていてあげてください。

厳しく指導されることが普通の子供は、Kjの先生を見て、

「今はにこやかに、優しく丁寧に教えてくれるけれども、この先生たちも、いつか鬼のようになって、勉強を強制してくるだろう。

それまでは、適当にやってもセーフだ。

その間は、楽にしていよう。どうせそのうち、勉強させられる。

それに、私に勉強せさる責任は先生にあるのだから」

そう思っている間は、頑張って塾に通っているのに、ちっとも成績が上がらないですね。

「イヤイヤだけど、頑張って、勉強してる私はエライ」・・・「そう、だから伸びやんのよ」

でも、自分からやろうという気になると、雨後のタケノコのようにスクスクと伸びていきます。

思春期は本当によく伸びます。これが生命力です。

でもこの生命力は、本人がその気にならないと発動されません。

比喩的に表現すると、すでに種火も消えている子もいます。

火をつけるには、本当にもう一回、愛情をかけるしかないのです。

強制ではなく、学びの中で、

子供が、こっちに道があることに納得するように愛情をかけていきます。

勉強を強制して、勉強を嫌いにさせて、その中で「褒美をあげるから」というわずかな希望を持たせて勉強させる指導は、

「嫌いなことを頑張る」という絶望的な気持ちにさせてから、「ご褒美」というわずかな救いを与える神様のような位置付けになって、

何やら神秘的、かもしれませんが、

何やら変、と思いませんか? これは「何劇場?」でしょうか?

自分の中に勉強する理由が見つかるように、塾も手を尽くしているのですが、

あらゆる強制力を排除して、自由意志の中で勉強を選択するようになるのは、

コロナ禍前より、今のほうが難しいことが多くなってきました。

それでも、強制されない空気感の中で、自ら勉強始める機会を常に用意し、誘っている、そういう塾です。

盆も休みはありませんが、

個別指導なので、そこに授業を設定するかどうかは生徒自身で決めることができます。

受験生は年末年始勉強会がありますが、

参加するかどうか、必要と思うかどうかは生徒の判断です。

参加しない子もいます。

ポイントは「よく考えて決めているか」ということです。

いくつかの集団指導塾のように順位を席次にしたり、成績表を張り出したりして、外的なプレッシャーをかけることはありません。

外側からのプレッシャーには、外側からのご褒美が必要になって、結局ご褒美目的の勉強になるというのは、

実は教育的にはあまりよくないパターンで、

子供自身が、勉強することの目的を見失うからです。

Kjでは、その外的な要因の代わりに、

昨日の自分より成長できる方法、今の自分をパワーアップする方法を、対話と相談の中で指導しています。

今度は、「それでは、ゆるいんじゃないか」と思う親御さんもいると思いますが、

そうではありません。厳しさとキツさは別のものです。

キツいなあという体験を勉強に使うのは可能ですが、

また時々あるのは悪くはないのですが、心理的圧迫になるので、

実はあまり良い手立てではありません。

やらされ感を増幅するからです。

よくある話で、

「嫌な勉強を頑張って、それで成績も上がったのだから、好きなものを買ってやろう」ということで、ゲームや課金をすることがあります。

しかし、これは本当はよくありません。

せっかく勉強して成果を出した子に、勉強しなくなるアイテムを渡してどうするのか? という点が、実は大きな問題なのです。

子供からしてみたら、次は手を抜いて、その次は頑張る、を繰り返せば、一番儲かることになりますね? 子供にとって、勉強に対する目標は表面に、本当の目的は別のところ(ご褒美)になってしまいます。

これに気づいた親が、怒って勉強をやらせるとなると、ほら、もう悪循環です。

でも、本当のところ、勉強する目的には、学習力と学力の獲得、この2つがなければなりません。これを外したら、元も子もないのです。

外的要因よりも、

勉強の嫌いではない面、嫌じゃないところをどんどん増やしていく指導をしていくと、変わっていきます。

「いやいや。もう、勉強が好きとか嫌いとか、そういうことはどうでもいいから点数だけ上げてくれ」というのは、子供のためにならないどころか、本当に時間とお金の浪費です。

それなら、塾に行っても行かなくても、その時だけの点数が取れるだけで、どうせあまり何も身につかないからです。

勉強する目的は、自分の中に力を蓄えることです。

点数を取ることや高校に行くことではありません。それは手段です。

自分の中に力を蓄えて、自立した大人になって、

自分と人を支え、社会生活を存分に楽しめるようにすること、

これが教育の目標ですから、

「点数を取るために今だけ勉強しなさい、

あとは忘れてもまた覚えなおせばいいのだから」とか、

「高校に行くために勉強しなさい、

いやでもしなければならないことは人生にはたくさんある、

我慢しなさい」とか、

勉強を悪者に仕立てて、この「共通の敵」に親子で立ち向かっていく図は、

あまり気持ちのいいものではありません。

本当は、その勉強のレベルを上げていくのが、勉強の本質です。

コロナ禍以降、世の中で、この勉強に対する「考え」が乱れてしまいました。みんなで教育の品質を落としてきた感じです。

人間は生物の中でいちばん未熟に生まれ、

学習していちばん大きく成長する生き物です。

「学習力」を高めることなしに、学校や塾で学ぶ意味はありません。

学習力こそが内なる財産となるからです。

「題材を得て、考えて、理解して、覚える」ということをしていくと正しい学習力が身につきます。これが重要なのです。

実行力はその先にあります。

今の学校教育では、探究学習が焦点の一つになっていますが、

探究学習をしたところで、その前段階ができていなければほとんど無意味。

それもまた、操り人形の一つの形でしかありません。

探究学習が本当にうまくいっている学校は、上位層の中高一貫校だけです。

その部分だけ真似ても、土台ができていないのに、何の成果も上がらないことはすでに明らか。専門家は、みんな知っています。

今の学校教育は、現場というより、もっとずっと上の段階で、10年前よりもはるかに歪んでいます。その歪みを吸収する柔軟性が今の学校にあるのかどうか。

子供に勉強させるについて、あるべき目的や効果的な方法、正しい手順を共有しませんか?

どうぞ有意義なアフタースクールをお選びください!

 

考える塾Kj

Page Top